やすさとです。
今日は初めて鍼灸(はり・きゅう)の事を書きたいと思います。
実は、私は国家資格を3つ取得しています。
鍼師(はりし)、灸師(きゅうし)、そして臨床工学技士です。
この臨床工学技士というのは、病院の中で医療機器を保守、管理、操作する専門の資格になります。
私は21歳で社会に出たとき、この臨床工学技士でした。
そして、この技士時代に妻と出会いました。
(出会ってから結婚までには10年以上を要しています)
今日はその頃のクリニックでの話と、達人との出会いについてお話したいと思います。
『ド田舎の人工透析の現場にて。あれ?私要らなくないですか?』
私は臨床工学技士の資格を取得してすぐ、家から車で1時間弱の距離にある、海と山に囲まれた田舎で就職しました。
そこは医者家系の二代目が開院した個人経営のクリニック。
敷地内に家族の開いた薬局もあります。
同じ県内だというのに、ご高齢の患者さんの言葉が一部理解できません。
まるで県外に働きに出た気分でした。
仕事は資格上は医療機器の保守管理、および操作というのが名目ですが、私は新人でここは田舎。
通常の大きな病院とは勝手が違います。できることは透析から掃除までなんでもやります。
そして、先輩技士なんているはずもありません。
私の指導者は看護師さん。
医療機器が故障しても、新人の私にできることなんて限られてます。
ちょっとしたことはできましたが、技士としての成長は難しい状況でした。
それでも、なんとか仕事をしておりましたが、働く喜びはあまり感じておりませんでした。
そして正直、あれ?ここに私は必要ないんじゃないか?
と思うようになっていました。
当時(20年前)の人工透析器というのは、A液、B液というのをそれぞれタンクに貯めて、機会で調整して配合し、『透析液』というものを作っていました。
この透析液を作るためには、A液とB液が必要なのですが、そのクリニックは『手作業』で大きなタンクに液体を入れていました。(別の病院では粉を使って機械で溶かすという楽な方法もありました)
当然、この作業は私の仕事の一つでした。
約20リットルの液体のタンクを、持ち上げては移す。その作業を毎日繰り返していました。
因みに、透析の世界に祝日休みは無いので、週6日、日曜日以外は基本毎日出勤していました。
そして、その日は突然おとずれました。
患者さんが全員帰ったあと、掃除を済ませ、透析液を作るために両手に液体のポリタンク(約20リットル×2)を持って腰を上げようとしたその瞬間
!!!!!!!!
全身に電撃のような痛みが襲いました。
『ギックリ腰』です。
指一本動かすだけで激痛が走り、立つことも、ポリタンクから手を離すことも適いません。
全身に脂汗が流れ、両手にポリタンクを持ったまま陸上のクラウチングスタートのような格好で動けなくなりました。
そんな不思議な格好でしばらく固まっていると、奇跡的に透析室を尋ねて来てくれた製薬会社の営業さんが私の異変に気づいてくれました。
私が事情を説明すると、その営業さんは私の肩をかかえて内科棟へ連れていってくれました。
院長の指示で、患者さんが寝ているベッドの隣で横になりました。
知っている患者さんが隣のベッドにおられたため、
『あれ?先生どうしたの?』
『いや~ギックリ腰みたいで』
という話をしました。
女性の看護師さんが来て、『座薬入れてあげようか?』と言われましたが、職場の先輩に入れられるのは恥ずかし過ぎたので、さすがに遠慮させていただきました。
その代わり、自分で座薬を入れてしばらく横になっていると事務員のオバチャンがやって来ました。
そしてこう聞いてきました。
「私の父親に鍼打ってくれるよう頼んであげようか」
21でギックリ腰。達人との出会い。
その日はどうやって運転して帰ったのか、覚えてません。
ただ、首が回らない腰が曲がらない、痛みが凄いと言うのは覚えています。
脇田さん(仮名)という事務員さんは、明日の仕事のあと家へ案内してくれる事、実家には目の見えない(盲目)の鍼灸師の先生がおられること、もう既にお歳で引退されているが、ギックリ腰の鍼治療は上手だということを教えてくれました。
何とか帰り着き、痛みであまり眠れぬ夜を過ごし、翌日は仕事を休みました。
そして、終業時間後に何とか脇田さんの家に行きました。
案内された場所は、ご自宅の一階を鍼灸院として改装された部屋でした。
ベッドは一つだけ。その他は針などが入っている棚があったと覚えています。
待っていると、2階からゆっくりと脇田先生が降りてこられました。
お歳は70後半か80くらいだったと思います。
簡単な挨拶を交わしたあと、先生は私に上半身脱いでベッドに俯せになるように指示されました。
私は言う通り横になると、先生がベッドの横に立ち、掌でサーッと背中全体をさすられました。
そして針を取ってこられると、私の背中に7本の針を刺しました。
衝撃でした。
先生は私に何もどこが痛い?どんな時に痛い?などの質問もせず、「私が痛いと思っていたところ」に迷いなく手を持ってきて針を構えて打ったのです。
「はい、それじゃしばらくそのままね」
次の言葉はそれでした。
30分くらい経った頃でしょうか。針を抜かれ、
「はい。もういいですよ。」
と言われました。
え?もう?と思いましたが、全く痛みなく立てました。
それどころか、首は回る、腰は痛くない、ぎっくり前より動けるようになっていました。
びっくりして先生にお礼を言い、お支払いをしようとしたところ
『あ、お金はいいよ。』と言われ断られました。
『娘の頼みだから』と。
上手な先生と、達人の違い
脇田先生に針を打っていただいたあと、驚きは続きました。
今でもハッキリ覚えていますが、針を打っていただいた箇所から、
ドクン・・・ドクン・・・と波が拡がるような感覚が続きました。
娘さん曰く、脇田先生に腰痛の針をしていただくと他の人もその感覚があるんだとか。
つまり、そんな特殊な感覚に再現性があるということです。
本当に衝撃でした。
20年近く経った今でもハッキリとあの時の気持ちを覚えています。
鍼師はすごい!!と感動しました。
私はその後いろいろあって、同じ鍼灸の道に入ってきました。
そしてたくさんの先生に針をしていただきましたが、未だにあの時の感動を超える針には出会っていません。
もちろん、針をしてくださった全ての先生が、それぞれに素晴らしい技術を持っておられて、助けていただいた事に感謝しています。
ですが、私が一度だけ出会うことのできた達人は、特別でした。
上手な先生は結果を出します。人を癒すことができます。会話や人柄で幸せにすることも可能です。
そして更に、達人は『感動』を残します。
高い技術と経験値を持つ人の、わずか30分の施術が、鍼の素人に一生忘れない印象を与えるほどの感動を与えてくれました。
おそらく、鍼灸に限らず、達人というのはどんな道であっても、そのような存在ではないでしょうか?
私は10年以上回り道をし、独自の鍼の開発をしながら、脇田先生の鍼の再現を目指しています。
何百人という患者様に何千という針を打ってきましたが、
『波が拡がるような感覚がする』
と患者さんに言われたのは未だ二人だけです。
まだまだ修業が足りないと痛感しています。
先生の50年のキャリアに5年の私が追いつくのは不可能かもしれませんが、この道を追求し続け、いつか感動を与えられるほどの達人になりたいと思っています。
皆様も、もしギックリ腰になられたら、鍼灸施術を受けられてみてはいかがでしょうか?
もし日本中におられるであろう達人に、施術していただくことができたなら、感動する体験が待っているかもしれませんよ。
読んでくださった皆様に祝福がありますように。感謝を込めて。
やすさと