こんにちは。クリスチャンのやすさとです。
今日も私の大好きな聖書から、皆さんにメッセージをお伝えしたいと思います。
大好きな人、愛する伴侶…彼らと一緒にいるとき、あなたの気持ちはどこにありますか?
新約聖書の「マタイによる福音書」から、とても有名な部分を引用しました。
少し長いですが、素晴らしい言葉なので是非読んでみてください。
もし、読むのが大変でしたら、目次から次のところまでスキップしても大丈夫です。
それでは今回もよろしくお願い致します。
マタイによる福音書第13章1~23節
1 その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。
2 ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。
3 イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
4 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
5 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
6 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
7 ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
8 ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
9 耳のある者は聞くがよい」。
10 それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」。
11 そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。
12 おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
13 だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。
14 こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。
15 この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。
16 しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。
17 あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである。
18 そこで、種まきの譬を聞きなさい。
19 だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。
20 石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。
21 その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。
22 また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。
23 また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。
長い聖書の言葉を読んでくださってありがとうございます。
ここに書いてある言葉は「クリスチャンの信仰」について「種まき」という例えで説明しています。
状況としては、イエス・キリストが人々に教え(福音)を説いています。
その話を聞く人々は多いですが、中にはイエス様の話を理解しようとしない人も多くいました。
そこで、イエス様は理解しようとしない人には解らないように、譬え(たとえ)を使っていると言われました。
簡単に説明すると...
①道端に落ちた種は、鳥に食べられた
→良い教え(福音)がその人の心に定着することもなく、悪い人の誘惑に流され、大切なものを失う。
②土の薄い場所の種は根が張らず、枯れる
→良い教えを最初は喜んで受け入れるが、困難や試練が来るとすぐにダメになる。
③いばらの道にまかれた種は、いばらがその成長を妨げ、実を結ばない
→良い教えを受けても、富(お金)などの方が良い教えよりも大切になってその人の身にならない。
④良い地にまかれ、豊かに実を結んだ
→良い教えが身に付き、その人の中で成長し、何倍もの価値を生む。
更に簡単に言ってしまえば、
耳で聞かず、目で見ても認めず、心で悟らない人は、多くの大切なものを失う可能性がある。
逆に、耳で聞くことの出来る人、目で見て認める人、心で悟ることの出来る人は、隠された真理や奥義、大切なことを見出すことができる。
という意味です。
パートナーのこと、見てますか?その声を聞いてますか?
さて、ここからが本題です。
この聖書の言葉は、夫婦・家族関係にも当てはめることができます。
私たちの生活には、誘惑や試練があふれています。
コロナウイルスも、私たちの生活に少なからず影響を及ぼし、心に不安を与える要素となっていると思います。
そんな大変な状況にある中で、あなたのそばにいる夫、妻、子供、恋人...その大切な人を、
あなたはしっかりと、見つめることができていますか?
愛する人が発する声を、きちんと聴いていますか?
愛するパートナーが発する、あなたへの一瞬のサインを、見逃していませんか?
子供が、言い出せない気持ちを我慢するサインを、見落としていませんか?
大人でも子供でも、そのサインの陰には、いじめがあったり、虐待があったり、暴力があったり、愛情の欠如からの寂しさ・苦しさがあったりします。
そのサインを見落としてしまうと、大切なものを失うことがあります。
心に大きな傷を負う場合があります。
私は昔、いじめを受けていたことがあります。
不良に連れていかれた友達を助けたことで、私が標的になりました。
私の友人の中には、誰も私を助けてくれる人はいませんでした。
見ているだけ。声をかけてくるものもいません。関わりたくないからでしょう。
私は黙っていました。
しかし、父だけが気付いてくれたのです。
父は、いじめる者に対して怒り、友人を助けた私を「よくやった」と誉めてくれました。
父は、行動を起こし学校に乗り込んでいきました。
教職員、いじめを行った者たちと、その家族に対し怒りました。
私は、いろいろな意味で父に救われました。
私が助けた友人は、今でも私の親友です。
あの時、父が子供のサインに気付かなかったら…どうなっていたかわかりません。
さて、あなたの周りに「いばら」はありませんか?
大切なものからあなたの目を奪い、耳をふさぎ、痛みを恐れ行動させなくなるもの。
仕事、コロナウイルス、貧困、生活苦...理由は様々です。
しかし、あなたが苦しい時にこそ、見落としやすい状況があります。
こんな状況は近くにありませんか?
・パートナーの表情の違い
・子供の様子の変化(違和感)
・声の違い
・隠すようなしぐさ
・心配させまいと気遣う動作
・女性に対する質問の、返事に使われる『大丈夫』という言葉。など。
特に、この質問の返事として使われる『大丈夫』は要注意だと思います。
何かいつもと違うような気がして、私が心配して声をかけた人たちの内、『大丈夫』と言ってきた女性がいた場合、後で知ったことですが、実際は高い確率で『大丈夫ではない』ものでした。
私がそうだったように、子供も「大丈夫」と隠すように言った時は要注意かもしれません。
読んでくださっているあなたが、大切な人に対して、目を開いて見て、耳を開いて聞いて、心で悟る時、 大切なことを(大切な人を)守ることができると知っています。
そのために、あなたを不安にするあらゆるモノを、少しの間だけ、あなたの心から切り離して、大切な人に気持ちを集中してみてください。
さっきまで見えなかった、小さな変化に気付くことができるかもしれません。
もちろん、本当に何事もないのが一番ですが。
読んでくださったあなたと、あなたの愛する人に祝福がありますように。
幼いころの私のように、気づいてもらえることで、助かる人が一人でも多くなることを心から願っています。
やすさと