こんにちは、クリスチャンのやすさとです。
長い間記事を投稿できませんでしたが、実は2本ほど書いては消して直していました。
今回は、新約聖書から学んだ事をお伝えできればと思います。
皆様の生活に何かのお役に立てば幸いです。
それでは、よろしくお願いいたします。
新約聖書ヨハネの第一の手紙4章18節
愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。
良好な夫婦関係の維持には、恐れに打ち克つ愛が必要
上記の聖句は、本来の意味は
完全な愛=イエス・キリストの持つ『慈愛』を意味します。
その為、イエス・キリストの持つ慈愛は、私達から恐れ(悪魔の誘惑や悪い思い)を取り除くという意味も含まれています。
それと同時に、
『私たちが慈愛の様な愛を持つときに、恐れを克服して正しいことを人に行うことができる』
ということも伝えています。
夫婦関係でも同じことが言えます。
大好きな人や伴侶、パートナーに対して、または周囲の人に『正しいこと』『大切な事』を伝える必要がある時、次のように感じたことはないですか?
一例としては
- これを言ったら、嫌な顔をされるかもしれない。
- これをしたら、嫌われるかもしれない。
- 間違いを正したら、怒られるかもしれない。(逆切れされる)
- 恥ずかしい
- 否定されるのが怖い
- 周りの人にどう思われるか
他人の目、噂話、自分への評価、その様な不安に感じる材料に直面した時に感じる気持ちが『恐れ』です。
人それぞれ愛の示し方は異なるものの、『必要な時に、恐れず愛を示す』事ができるかどうかは、非常に大切です。
その他にも、このようなケースはどうでしょうか?
妻がある事情により悲しんでおり、心から『夫に「愛している」と言ってほしい』と願っているとします。
その時、夫が迷わず愛を伝え、悲しむ妻の心を幸せな気持ちで満たした場合と、恥ずかしさから『言わない』 という選択をした場合では、その後この夫婦に待ち受ける結果が大きく異なる可能性があります。
妻が愛を必要としている時に、夫が勇気を持って伝える。
これはとても大切なことです。
妻が夫を愛している場合、夫に必要としているのはお金だけではありません。
夫の愛による精神的な満足も必要としています。
しかし、日本人の夫婦の中には、恥ずかしいので『愛してる』という言葉を伝えないという男性は多くいるようです。
そして、必要としている愛を夫が満たさない場合、妻の中では寂しさが募り、愛が冷えたり、外に愛を求めるなどのケースも存在するようです。
これは夫と妻の立場が逆でも同じことが考えられます。
愛を示すのには勇気が必要です。
そして、その勇気は示し続けると、より深く、大きなものになっていきます。
いきなりは変わらないかもしれません。
愛するパートナーに、毎日少しだけ、今まで以上に愛を示していくと、その愛が積み重なった時、大きな祝福になっていると知っています。
恐れを克服した愛の模範
私には10人近い従兄弟がいて、彼らは同じ市内やその近隣に住んでいます。
約20年前、その中の一人が20代の若さで癌になり、天に召されました。
発見された時にはもうステージ4(末期)で、同年代の従兄弟である私たちがそれを知って病院に行ったのは、亡くなる前夜の事でした。
病室のドアを開けると、そこには以前の面影は全く見えないほどやせ細り、全身の肌が黄疸で黄色くなり、呼吸器を付けられてしゃべることもままならない従兄弟の姿がありました。
その姿は衝撃的で、私は見た瞬間声も出ないまま立ち尽くしました。
おばちゃん(従兄弟の母)が「近くに行って声をかけてあげて」と言いました。
しかし、私は動けませんでした。私の家族を含む数人も、その姿にショックを受け、何をしたら良いのか解らないようでした。
癌という病気を初めて強く身近に感じて、私は『何か』を恐れました。
声をかけようにも、声を出すことができませんでした。
どうしたらいい?何て言葉をかけたらいい?
そんな思いが頭でグルグルしていました。
ベッドの側に行くだけさえも、頭が混乱して足が前に進みませんでした。
その時、私のひとつ年上の従兄弟たち2人が、私の横をスッとすり抜けて、ベッドサイドまで行きました。
しゃがんで従兄弟の耳元に顔を近づけると、弱り果てた手を両手で包んだのです。
そして優しく、明るくこう言いました。
「〇〇君、どしたんなあ?こんなところで横になってから。早く元気になってまた飲みにでも行こうで。」
彼らは迷わず、次々とその様な優しい言葉をかけました。
私は従兄弟たちを見て「すごい...」と感じてしまいました。
おばちゃんはその言葉を聞いて泣いていました。
私もその言葉を聞いて背中を押されるように、ようやくベッドのそばに行けました。
それでも、「早く元気になってね」と真似をして声をかけるのが精一杯でした。
あれから20年たった今は、癌で亡くなった従兄弟のように苦しむ人に、愛のある言葉をかけることができるようになりましたが、それは彼らの模範、そして器の大きさを感じた経験から学んだからでした。
その当時は、迷わず愛を『示した』彼らの模範は、私に真似できないものでした。
『愛』は『恐れ』の対極にあります。
当時の私は『得体の知れない何か』を恐れて、愛を示すことができませんでした。
しかし、彼らの愛は心に感じる恐れに打ち克ち、心からの優しさとともに示されたものでした。
その日、私は『愛を示せる人が一番強い』と感じました。
最後に
愛にはたくさんの形があると思います。
夫婦間の愛
被災地へのボランティア
子供への愛情
病人を見舞うこと
孤独な人を訪ねる事
困っている人を助ける事
正しいことを伝える事など
これらの善い事を『行う』時には、勇気が必要かもしれません。
正しいと思っていても、できないこともあると思います。
たとえ一度できなくても、悲しまないで次にできるように備えましょう。
ただ、心に『今、愛を示さなければならない』と感じたら、勇気を出して頑張ってください。
きっと、その勇気以上に大きな喜びが返ってくると思います。
皆様に祝福がありますように。
そして、愛するパートナーや子供たちが、あなたの示す愛で更に喜びが得られますようにお祈りしています。
やすさと