こんにちは。やすさとです。
最近私はブログを書くペースがゆっくりです。
その原因は、「疲れて(へばって)寝落ちしている」ことが大半です。
皆様の体調は大丈夫ですか?
これからもゆっくりではありますが、皆様の心に祝福となるようなメッセージを書きたいと望んでいます。
( それから、また少しずつ鍼灸の記事も書きたいと思います。)
今回は聖書を読んで、私と妻の関係について考えたことを書きたいと思います。
それではよろしくお願いいたします。
(新約聖書 口語訳)マタイによる福音書27章より
神の子と呼ばれる存在でも拒まれる
この聖句はイエス・キリストが罪は全くないにも関わらず、イエス・キリストを拒むユダヤ人の偽りの罪状によって訴えられ、十字架にかけられることが決まるシーンです。
新約聖書を読んだことのない方のために、簡単に説明すると
イエス・キリストは生まれてから死に至るまで、神の目から見て全く罪のない存在でした。
その生涯の中で、数多くの苦しむ人の病気や障がいを癒し、悲しむ人を慰め、人々に神聖な教えを説き、正しいことを行いました。
しかし、イエス・キリストの教えは、旧約聖書時代(紀元前)のモーセの教えを信じるユダヤ人の学者や指導者にとっては、受け入れ難いことも多かったようです。
そのため、当時のユダヤ人の悪い指導者は、イエス・キリストを自分たちの宗教にとって邪魔な存在だと考え、殺すことにしました。
そして十字架に付けて殺すために、偽りの訴えを起こし、イエス・キリストを捕らえました。
そして、上記のシーンに繋がります。
結果としてイエス・キリストは、一部のユダヤ人の偽りの罪状により殺されました。
全く罪がなく、慈愛と愛に満ちた教えと行い、そして模範でその生涯が埋め尽くされていたにも関わらず...です。
現在、世界中で多くのキリスト教の教会がありますが、世界中のクリスチャンは皆一様に、イエス・キリストを愛しています。
イエス・キリストはその様な完全な存在でしたが、ユダヤ人の一部の者は拒みました。
完全な神の御子でも、一部の人間には拒まれました。
私達夫婦は不完全
鍼灸師をしていると、結婚生活を営む多くのご夫婦から様々な『結婚観』をお伺いする機会があります。
その中で、時々はありますが、このような内容を耳にしました。
- 夫はATMであればいい(ある既婚女性と離婚経験のある女性との会話)
- 妻は(夫は)何もできないという悪口(ある夫婦談)
- 夫に怒られないようにもっと完全な妻になりたい
- 自分はもっと完全な父親にならなければいけない
- ダメな妻だと思われたくない
・・・・etc
夫としては耳を塞ぎたくなるような話を聞かされることがあります。
でも、これ全部実際にあった話です。
私達夫婦は、結婚前にある約束をしました。
それは『お互いの悪口は絶対に言わない』『相手を感情的に責めない』というもの。
相手に対して不満があった時には、感情に任せて言いたくなった言葉を、一度ぐっと飲み込みます。
そして、言葉を選んで『相手が前を向ける(前に進める)ような言葉』で伝えるようにしています。
時々伝える言葉を失敗して、妻が自分を責めて泣いてしまうこともありますが、すぐに謝って赦し合います。
基本的に、私達夫婦は互いを責めたり批判したりしません。
なぜなら『私達夫婦は互いに不完全だと知っている』からです。
ストレスからの解放
全ての人が不完全だと知っていると、次の様なプレッシャーから解放されます。
それは
『すべての人に好かれたい(認められたい)と思う必要はない』
ということです。
鍼灸師としての一つのプレッシャーは『この人を癒せなかったらどうしよう?』というものです。
これに関しては、治せなければ自分の未熟だと受け入れています。
しかし、人としてのプレッシャーは
『自分が否定されたらどうしよう?』
『相手に嫌われたらどうしよう?』
などがあります。
でも、
『イエス・キリストのような神の御子でさえ拒む人間がいるのに、私の様な小さな存在がすべての人に完全に受け入れてもらう人間になるのは無理だ!(笑)』
と気付いたときから、あらゆる点で気持ちが楽になりました。
全ての人に対して、クリスチャンとして愛を示せるように努力はしますし、仕事も頑張りますが、全ての人に受け入れられる存在になりたいと考えるのはやめました。
だって無理ですから。神の子でさえも拒む人がいるのに(笑)
だから、その考えに至った時
- 自分にできることをただひたすら頑張る。ただそれだけでいい。
- それを好きになるも嫌いになるも相手次第。
- 受け入れる事も、拒否するのも相手の自由。
ということが解ったのです。
これは妻との関係においても大切なことです。
自分の中で勝手に『妻の理想像』を作ると、妻の不完全なところばかりが見えるようになります。
それと同じように、『理想的な父親像』と自分を比較すると、自分の至らなさばかりが見えてきます。
そうではなく、自分が不完全だと認めると、不完全だからこそもっとできるように頑張ります。
妻に幸せになってもらえるように努めます。
そして、妻が不完全なところは一緒に頑張って助け合います。そして妻が失敗しても絶対に責めません。
人は誰でも失敗するからです。
頭ごなしに責めても悲しませるだけです。
むしろ妻がケガなどしていないかを心配し、励まし、一緒に歩むように努めたほうがお互いが幸せです。
私の経験上、他人の事を個人的な感情で責める人は『自分もできていない』人が多いです。
本当に器の大きな人は、感情で頭ごなしに責めたり、弱点を批判したりはしません。
理想的な主語
最初に書いた
- 夫はATMであればいい(ある既婚女性と離婚経験のある女性との会話)
- 妻は何もできないという悪口(ある夫談)
- 夫に怒られないようにもっと完全な妻になりたい
- 自分はもっと完全な父親にならなければいけない
- 私は妻だと思われたくない
これらは全て『私は、あなたは、夫は、妻は』という一人称の主語です。
夫婦の間で理想的な主語は
『私たちは』
です。
夫婦生活は独身同士が付き合っている期間と違い、『結婚』という特別な関係のもとで『一つの家庭を作る』という目標に向かって助け合いながら努力する必要があります。
そのため、主語は『私は、あなたは』から『私たちは』という歩み寄りと一致を必要とする主語が良いと思います。
お互いが尊敬と愛の気持ちを持ち、歩み寄って一致する努力をするなら、それは可能になってきます。
始めは難しいかもしれません。自我と忍耐との戦いです。
しかし、相手は不完全だと理解し、パートナーの「欠点」でなく『良いところ』
を見て、感謝の言葉を伝え続けるなら、素晴らしいパートナーシップを築くことができると知っています。
私達は全員不完全です。完全な人なんていません。
だから、ぶつかります。
でも、不完全だからこそ謝ったり、赦すこともできます。
謝ることも、赦すことも勇気が必要です。
でも、自分も相手も不完全だと受け入れることができた時に、赦すという道が開かれると知っています。
読んでくださった皆様に、慰めと祝福がありますようにお祈りしています。
やすさと