こんにちは、クリスチャンのやすさとです。
いつもブログを読んでくださってありがとうございます。
復帰?二日目として今日、新約聖書から学んだ事を書きたいと思います。
本日もよろしくお願いいたします。
使用した聖書はこちらです。「日本聖書協会 新約聖書 口語訳」
聖書にはイエス・キリストに関することが書かれていますが、その中では多くの教えや奇跡、そして模範が示されています。
そして、世界中で最も多く読まれている書物でもあります。
そんな聖書の中から、一つの聖句をご紹介したいと思います。
マタイによる福音書15章29~31節
29 イエスはそこを
30 すると
31
※この聖書は1954年に翻訳されたものなので、現在では使用されていない差別的用語がそのまま使用されております。
現在は
足なえ→足の不自由な人
不具者→体の不自由な人
おし→口のきけない人
のように翻訳が改正されています。
ここにはイエス・キリストが山に登られた時、多くのハンディキャップや病気を抱えられた方がイエス様のもとに来て、彼ら全員を癒されたと書かれています。
あっさりと書かれていますが、医療従事者から考えるととんでもない奇跡です。
- 足が悪い人
- 不具者(体の一部に障害がある人)
- 盲人(目が見えない人)
- その他多くの人
が癒されています。現代医療でこれらの問題を解決するのがどれほど大変かを考えると、その当時のクリスチャンは祝福されているなぁと少し思ったりします。
イエス・キリストはその苦しむ人を見捨てず、癒しを求める人々をその場ですぐお癒しになったことから、私達も愛する人が苦しむとき、助けを求めてくるときには、すぐに手を差し伸べる必要があることがわかります。
私達に何ができるでしょうか?
さて、私はこの聖句を呼んだ時、こう考えてみました。
「同じように私の周りにこのような人が来たらどのように助けられるだろうか?」
「そのような人は今周囲にいるだろうか?」
少し考えるだけで、その人はすぐに見つかりました。
それは、愛する妻です。
妻は現在大きなハンディキャップを抱えているわけではありません。
しかし、妻がもしも
- 疲れている
- 病気になった
- 悩みを抱えている
- 悲しんでいる
- 助けを必要としている
などの状況にある時、私はすぐに助けの手を差し伸べる必要があることを感じました。
もちろん、今までもできるだけのことはしてきました。
家事を手伝ったり、悩み相談にのったり、マッサージをしてあげたり・・・
しかし、「まだできること」はたくさんあったように感じました。
妻が必要とするすべてに対し、「私に求められてないこと」まで先に与える必要はないかもしれません。イエス様も全員に対して、「何でも完全な状態」にされたわけではありません。一人一人に「必要とされている助け」に応えられています。
このことから、私も妻に「必要な助け」や「私に伝えにくいけれど、本当は求めたいこと」は、こちらから読み取って(感じ取って)支える必要があると思いました。
最後に
皆様の愛する人は、どんな助けを必要としておられますか?
正しいことを行うことや、助けるということは、ある時には勇気が必要かもしれません。
もしかしたら恥ずかしいと感じるかもしれません。
しかし、正しいことを行う時、愛する人を愛によって助ける行動を起こす時、必ずその先に大きな祝福があることを知っています。
皆様が愛する人に愛を示されるとき、神様が祝福してくださいますよう心からお祈りしております。
読んでくださった皆様に感謝を込めて
やすさと